50代、60代夫婦のセックスは「深い絆」と入れ替えに「卒業」していても不思議ではないが、まだ若い20代~40代夫婦でもセックスレスが多いのが現実だ。
これは結婚により、雄(オス)・雌(メス)の精神的緊張という「人間をイキイキさせる官能的な条件」を失うためだろう。
「官能的な緊張感の高まり」で成り立っていた男女間の性愛の部分が結婚によって消滅してしまったからだ。
性的な意味でだけ言えば、結婚は「愛の墓場」と言えなくもない。
経験者ならわかると思うが「真実の愛」は婚外恋愛のなかにある。
つまり、背徳が官能的な緊張感を高めるという意味でそれは間違ってはいないのだ。
処女から人妻へと「女」が開発されるにつれ、その快感は、その快感を教えてくれた男性に抱かれるときもっともよく発現する。
女性の快感は、たったひとりの男性において際立つのだ。
だから男性経験の多い少ないで、女性の快感が左右されるわけではない。
ほんらい、女性が安心して「本然」に身を委ねられれば、一途に「夫」への愛に帰結するだろう。
しかし夫が、妻のカラダを長年かけて開発したにもかかわらず、妻がその快感のピークに差し掛かったころ、興味を失ったり(レス)、または自分自身が役に立たなくなったり(勃起不全)する。
「妻」のセックスにおける快感は「夫」のそれとは比較にならないほど大きいが故に、何かのきっかけで彼女の性愛を受け止め、新たな角度から目覚めさせ、さらに人として尊敬できる男性に巡り会えすれば、その時点で憧れに過ぎなかった「婚外恋愛」は、彼女たちにとって現実のものになる。
A子は「夫との性生活」を犠牲に「妻の座」という安定を得て、私の一途な愛撫を全身に浴び、男性の求める女性の未知なる部分を惜しむことなくさらけ出し、身を震わせ、愛おしいまでに頂点へと昇り詰めていった。
H子にとって私は、ひとときの「癒し」に過ぎない。
彼女にとって私は、自分の性欲を満足させてくれる便利な「ペット」だったのだろう。
清楚なU子も、女性の本能的な欲望においてはまったく同じだ。
自らの手で私のズボンのベルトを緩め、培った性技を惜しむことなくさらけ出し、狂おしいまでの喘ぎ、芳しい体液臭が部屋を充満させ、失神していた。
そんな彼女たちも、いま50代になろうとしている。
「あるがまま本来の女らしさ」はまったく変わっていない。
変わっていないどころか、年齢を経て、さらに妖艶な輝きを増しているのだ。
それは「夫」には見せられない、見せてはいけない女の本性と野性的な痴態であるに違いない。
女は灰になるまで....
彼女たちは、既婚者であろが、夫とレスであろが、まったく意に介さない。
「あるがまま、本来の女らしさ」とは、平たくいえば、本能に忠実だということ。
類まれな自己陶酔の快楽に浸る「いい女」であることに間違いないのだ。