セックスには、ペニスによる「刺激的なセックス」もあれば脳で感じる「癒しのセックス」もある。
何回イケたかにこだわるセックスもあれば、オーガズムをゴールとしないセックスもある。
仮に、「体育会系セックスvs文科系セックス」という表現で分けるとわかりやすいかも知れない。
スポーツに見立てて、激しく動いてたくさん汗をかいて心地よい疲労を得ることにセックスの醍醐味を感じ、セックスをストレス解消に活用しようと志向するのが体育会系。
一方、体力勝負や物理的なダイナミズムよりも内面的な世界を思考するのが文科系だ。
もちろん、これらの大別した2大特徴は、実際のセックスでははっきりと二分されるわけではなく、両方、あるいはその他の色んな要素がさまざまにミックスされてセックスは構成される。
「オーガズム」についてのイメージは人それぞれだが、一般的に体育会系セックスの延長線上にあるものとしてイメージを抱く方が多いと思う。
もの凄く激しく突いて突いての繰り返しの果てに訪れるものとか、100m走でゴールを迎えたときのように、ひたすらそれに向かって走り続け、ゴールテープを切った瞬間にバタッと倒れて力尽きてしまうようなセックスだ。
確かに、そのように物理的な激しさを伴って迎えるオーガズムもある。
20代くらいの比較的若い世代は、こういうパワーセックスでオーガズムを得たいと思っている方が多いが、40代を過ぎ50代になると好みも少しずつ変わって来る。
歳を重ね、疲労度や体の硬さなど身体的な理由はあれど、肉体的な快楽よりも精神的快楽を求める傾向が強くなるからだ。
体育会系セックスは、行為そのものも人間関係もあまり後腐れのないスッキリ系。
「また会いたいな」と後ろ髪を引かれることも少ない。
それこそ、テニスの試合のように対戦相手を次々替えていく感じ。
特定の相手とズブズブの関係になりたくない場合は好都合かもしれない。
ところが、そこに文科系セックスの要素が絡むと、またひと味違って来る。
文科系セックスの醍醐味を言語化するのはとても難しい。
脳が開発されている女性は、性的な刺激による絶頂でなくても、「オーガズム」に達することが出来る。
以前、ヨガのインストラクターから依頼を受けたことがあるが、彼女はホテルへ向かう路上で握った手の指先へ刺激を加えただけで見事にピークを迎えていた。
突然路上にしゃがみ込み、しばらくピクピク痙攣して完全にイッテいたが、覚醒したときはスッキリとした顔をしていた。
オマンコやクリトリスへの性的な刺激でなくても「イク」を体験することは可能なのだ。
私はセックスで大事なのは「気の交流」だと考えている。
気=性的エネルギー
この「気の交流」のついては次回お話しさせていただく。