セックスというのは、いつまでたっても女性たちを悩ませる。
このままでいいのか、よくないのか?
自分の身体でしか試すことが出来ないので、他人と比べようもない。
性に真理があるとすれば、それはいったい何なのか?
心の一部にモヤをかけているように、なかなかすっきりしてくれないのが、多くの女性たちのセックス観だと思う。
そんな中で、確かな手応えを手に入れた女性もいる。
X子も、そんな女性のひとりだった。
セックスでイケなかったころのX子を振り返ると、やたらと相手に奉仕するばかり。
頑張ってフェラチオのテクニックを磨いたり、相手を喜ばせるためにイク演技をしてみたり。
その場では男性も喜んでくれるし、「エロいね」と言われると自分の心も満たされる。
それでいいと思っていた。
でも実際は、セックスをしているときは楽しくても、行為が終わって相手がスヤスヤと寝ている姿を見ていると「自分はまだ満たされてないのに」と悶々としてしまう。
浅い快感しか得られてないので、またすぐにしたくなる。
相手が寝ている横でオナニーをすることもしばしば。
奉仕するだけのセックスは、知らないうちに欲求不満を溜めていった。
セックスでイク・イケない問題の話が出ると「別にイケなくても気持ちいいし」と話す女性も多い。
かつてX子も同じように思っていた。
「セックスはイクことがすべてではないし、愛する人と肌の触れ合いを通して、気持ちよくなれればそれでいい...」と。
セックスの定義について、「勃起・挿入・射精」の3つが必要な絶対条件だと思い込んでいる女性が多い。
でも、これはすべて男性器の話。
つまりそれは“男性主導のセックス”である。
だから女性は、どこまでいってもペニスの呪縛から逃れられず、「自分が我慢すればいい」と思い込まされているのだ。
自己犠牲心を発揮して、それが愛だという概念を植え付けられている。
素晴らしい女性というのは男性を喜ばせる女性だという固定観念。
そこに本当の“女の悦び”はあるのだろうか?
多くの女性は、「付き合ったらセックスしなければいけない」と思い、「セックスするなら彼氏を作って付き合わないといけない」と考える。
「結婚したらセックスしないといけない」それこそが正解なんだ、一番の幸せな事なんだと思い込まされる。
そもそも恋愛とは「恋愛感情」と言われるように「感情」と言う変化するものがベースとなっている。
一方で、「結婚」というのは社会制度で、固定されている概念だ。
ではセックスはなにかというと「欲望」という行為。
その「欲望」も変化するものである。
結婚・恋愛・セックスを三位一体で考えた場合、結婚という固定された社会制度の中に、感情と欲望と言う変化するものを無理矢理しまい込もうと矛盾する作業をしているのだ。
女性は、たとえオーガズムに至らなくても性欲を感じ興奮し満足することもある。
だがセックスでオーガズムを得られるようになると、セックスの満足度が圧倒的に高くなるのも事実。
体と心はつながっているので、肉体的に深い満足度が得られると、精神的にも幸福感でいっぱいになる。
「快感」=「満足」=「幸福感」という図式だ。
オーガズムは「快感」とともに「心の余裕」をもたらしてくれる。
定期的にセックスでイッテいる女性は、表情がやわらかくて、心に余裕のある人が多い。
穏やかな雰囲気で周りを和ませることができるので、自然と人が集まる。
婚外恋愛では、愛する彼とのセックスでオーガズムを感じられるようになると、女性は夫に対しても優しく寛容になれる。
すると、家庭にもその幸せの連鎖が広がってゆくのだ。
X子は50歳になってはじめて自分の「性欲の正体」を知ることになる。
どうすれば自分が満足するのか、自分はどういう性的嗜好なのか、自分の性欲を掘り下げていったのだ。
イクことを目的にしている女性はなかなかイケない。
そういう女性に欠けているのは「イクことでどうなりたいか?」という視点だ。
オーガズムは、良くも悪くもカラダの反応である。
イクだけだったら挿入されながら電マを当てたらいいだけだ。
女性の願いは「すごいテクニシャンになってめちゃくちゃ気持ちいいセックスをしてほしい!」ではなく「ちゃんと私を知ろうと思いやってほしい」である。
その意識のズレがあると満足度が高いセックスには行きつかない。
セックスが下手な相手とする辛さは「気持ちよくないから」ではなく「自分と向き合ってくれている実感がない」ところである。
女性がセックスを気持ちいいと感じるには、まず、「求められている、大切にされている、可愛がられている」という幸せを感じる必要がある。
そして『触られて幸せ! 抱き合って幸せ! 気持ちいい! 嬉しい! もっとしたい!』となった先に中イキがあるのだ。
40代から強くなり始めた自分の性欲の“正体”に気づき、50代で最高のセックスに出合う女性がいる。
還暦に向かって衰えつつあると思っていた身体がこれほど敏感に反応することに驚く女性もいる。
「30させ頃、40し頃、50ござかき、60ろくに濡れずとも」
女は「灰になるまで」というが、死ぬまで女は女なのだ。